第326号 CAP or HAT
2015 / 03 / 29 ( Sun ) CAP or HAT
桃山学院大学 石田易司(NPO法人キャンピズ) 私たちのNPO法人では、知的障害の若者たちと大学生と一緒に海外へ行くことを恒例としている。これまで、ハワイ、モンゴル、オーストラリアなどに行って、現地の障害者と交流をしたり、支援学校を見学したり、キャンプを楽しんだりしてきた。 活動体制としては自分の経費は自分で払う大学生が、1人の障害者に2人ずつ付けるくらい参加してくれるので、同行する保護者や他メンバーたちの負担にならず、自分たちでも楽しめるツアーになっている。2015年度も2月21日から10日間、オーストラリアのメルボルンでキャンプ生活をしながら、幼稚園から高校まで一貫した統合教育を実施する学校や障害者の地域生活の核になるNPOなどを訪問する。 そんな時の知的障害の若者たちの親子関係がおもしろい。Aくん(33歳・男性)は重い自閉症だが、「私たちもゆっくりしたいから」という保護者の希望で一人で参加する。B君(38歳・男性)は軽い知的障害で日常生活はほとんど何の問題もないが、お母さんが一緒に参加する。 しかし、現地での宿舎は本人の希望で母子別々に。Cさん(34歳・女性)は、リタイアされたお父さんが同行されるが、同室での宿泊。みなさんならどのタイプを選ばれますか。 どうしてこんなことを書いているのかというと、10年前の大学生ボランティアが執筆した「CAP or HAT」という卒業論文がいまだに私の心にひっかかっているからである。あるキャンプの終わりに集合写真を撮った時、20人いた知的障害の青年が、みんな揃ってCAPをかぶっていたことに気づいた彼が、どうして知的障害はHATよりCAPをかぶるのかを親へのインタビューで明らかにしようという論文である。その卒業生の調査によると、20人の母親が揃って「子どもの衣服は保護者の好みで私が買う。HATよりCAPがかわいいから」と答えている。続けて「仕事はできないと思う」「結婚は考えてもいない」とも。 こういう母親の気持ちはよくわかるが、親子というより、客観的な一人の人と人との関係を考えると、20歳を過ぎた男性を「かわいいから」「できないに違いない」と決めつけて、自分の思う枠の中に子どもの人生を当てはめてしまう母親を、私は肯定できないのである。 そういう意味で「私たちもゆっくりしたいから」と堂々と言えるA君の両親を高く評価したい。私たちがA君を支えるから。 「親亡き後」は育成会の当初からの大切なテーマだろうけど、この時代、親も自分の人生を大切に「私の生きている間に、私にも自由を」をキャッチフレーズとして掲げるのはどうだろうか。 スポンサーサイト
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