第396号~障害理解につながる素敵なポスターが出来ました! そして、「障害」?「障がい」?「障碍」?、表記を変更して何が変わるのでしょうか?~
2021 / 03 / 20 ( Sat ) まず始めに、とても嬉しく素晴らしい神戸市の取り組みからご紹介します。
国では、2020東京オリンピックパラリンピック競技大会を契機とする共生社会の実現に向け、「心のバリアフリー」を推進していますが、神戸市におきましても、その推進のための様々な広報・啓発活動が行われております。 その一環として、この度、神戸市福祉局・交通局の共同事業による知的障害者理解に向けた啓発ポスターが作成されました。 (本誌8~9ページに掲載、作製にあたっては、当会も少しだけお手伝いさせていただきました。) ポスターには、知的障害者特有の4つの行動パターン(「とびはねたり、まわったり」「ぶつぶつ」「大きな声」「いつもの場所」)が描かれています。 一般の方々から見れば奇異に思えるこの様な行動にも、実は、彼らなりの、れっきとした理由があるのです。何故そういった行為を行っているのか、このポスターには、その理由が分かり易く、しかも、簡潔に明記されているのです。 差別は、無知(知らない分からない)や偏見から起こると言われ、社会の人々の障害についての正しい理解が必要です。 そういった観点からも、今回のこの取り組みは、知的障害者に対する理解の一翼につながるものと多いに期待されます。現在、市内を走っている市バスや地下鉄に掲示されているそうです。ぜひ一度、ご覧になってみて下さい。 次に、神戸市障害者スポーツ大会のお知らせです。(本誌16~17ページ) 令和2年度は、新型コロナの影響で、全ての大会が中止になってしまいましたが、来年度は、卓球や水泳の屋内競技については、密を避けるため、障害種別により午前午後に分けて実施したり、また体調チェックシートの提出等、感染症対策を徹底しての開催となります。事務局に実施要項がありますので参加希望の方は、お問い合わせ下さい。(感染状況により中止の場合もあり) 次は、全国手をつなぐ育成会連合会(以下:全育連)からのお知らせとお願いです。まずは、新型コロナウイルス感染症のワクチン接種について、知的障害者に関する事項についての要望書を2月22日、田村厚生労働大臣宛に提出いたしました。 (6~7ページに掲載) 内容の要旨は、①重症化リスクのある基礎疾患を有する障害のある本人への確実な優先接種。②障害福祉サービス事業所等における集団接種の実施。③接種に関する本人の意思確認の支援。となっております。ワクチン接種について、その他の要望や、お気づきの点があれば事務局までご連絡下さい。全育連にお伝えし、場合によっては国への要望につなげていきたいと思います。 次は、全育連からのお願いです。全育連の権利擁護センターでは、今年度最後の取り組みとして、「成年後見制度」についてのアンケート調査を実施したいと思います。 「成年後見制度」は、様々な課題や問題点が多く点在し、なかなか制度利用には結びついていない現況ではありますが、親なき後の本人の財産管理や契約行為を考えると、現時点においてはこの制度を利用せざるを得ない状況となっております。 では、どうすれば、本制度をもっと使いやすく出来るのか、どういった課題があり、それを、どの様に解決すれば安心して使える制度になるのか、会員の皆様に忌憚のないご意見を聞かせていただきたいと思います。国の方でも、利用促進に向けた取り組みが進められているようですが、全育連としては、皆様のご意見をまとめ、データに基づいた改善要望を国に対して挙げていきたいと思います。アンケートは、30名程度の方に無作為でお願いしたいと思います。 「親なき後」問題を少しでも軽減したいと思います。お忙しいとは存じますが、お受け取りになった方は、どうかご協力のほどよろしくお願い申し上げます。 次の話題です。東京パラリンピック開催を前に「障害者」の表記に「害」の字を用いることを問題視する指摘がありました。そして、「さまたげ」を意味する「碍(がい)」を常用漢字表に追加し、法令等で「障碍者」と表記すべきであるとの要望を受け、表記変更についての検討が「文化審議会国語分科会小委員会」で行われていましたが、「碍という字は社会で広く使われておらず、直ちに常用漢字に追加はしない」との考えが示されました。 「害」は、「被害」「公害」などに使われ負のイメージが強いため、ここ数年、「障碍」に変更すべきであるとの意見や、また「障がい」と表記する自治体も増えてきました。 しかし、その一方で、「障害」のままで良いという意見も多数あり、特にNHKでは明確な理由により、敢えて「害」を使い続けているそうです。その理由とは、「障害」はその人自身にあるのではなく社会の側にある、つまり障害者とは、「社会から障害を課せられるがゆえに障害者である」という捉え方で、この様な考えは「障害の社会モデル」と呼ばれています。対する「障害の個人(医学)モデル」とは、「本人の持つ障害ゆえに障害者である」、これは、本人の自己責任という考え方で、以前は、この考えが主流でしたが、 2014年、日本が国連の「障害者権利条約」に批准してから、権利条約で謳われている「社会モデル」の考え方が浸透してきました。 「社会モデル」・・、全く聞きなれない言葉ですが、簡潔に言うと、障害者とは、社会との間に「壁、障壁、障害」がある人のことであり、つまり「障害」とは人を意味するのでなく、社会をさす言葉なのです。そして、その障壁は、段差などのハード面だけにとどまらず、人々の「心」の中にも多く存在します。そのハード・ソフト両方の壁が取り除かれた時には、もしかしたら、「障害者」という言葉は不要になってしまうかもしれません。(希望ではありますが) 「害」を不快に思う人に考慮して、政府では、10年ぐらい前から幾度も検討が為されているようですが、果たして、「障害」を、「障がい」や「障碍」に変更して、どれだけ社会が変わるのでしょうか?。本人や家族にとっての辛くて不快な想いとは、障害者に対する言われなき差別や偏見に他なりません。言葉や表記だけ変えても、それを実際に使う社会の人々の気持ちが変わらなければ何も変わりません。心のバリアを除去するには、正しい障害理解が不可欠であり、そのための議論・政策が何よりも必要です。 そういった面から考えても、冒頭で紹介したポスター掲示は非常に大きな意義があると思います。官民一体となった活動は新しい社会を生み出す原動力となります。親としてやれること、やるべきことを頑張りたいと思います。(会長 後藤久美子) スポンサーサイト
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