第405号~今月号は、ぜひ、お父さん方にも読んでいただきたいです。~
2021 / 12 / 18 ( Sat ) まずはじめに、本誌9月号に、今年度の神戸市に対する要望書を掲載しましたが、神戸
市より文書にて回答をいただきましたので、要望事項と共に10~21ページに掲載しております。 また回答会の際には、ワクチン3回目の接種について、1~2回目の時と同様に、 「障害者施設」での集団接種の実施や、一般の接種会場で受ける事が困難な「配慮の 必要な方のための接種場所の設置」についても、神戸市に対し、お願いをしました。 医療従事者の3回目のワクチン接種が始まりましたが、知的障害者の早期接種が実現 できる事を願うばかりです。 次です。株式会社いくせい(以下:㈱いくせい)の福祉就労社員募集の案内を 8~9ページに掲載しています。㈱いくせいは、ご存じの通り、神戸市手をつなぐ育成会の 会員が株主となり、昭和62年に設立した企業です。 市内の事業所(植物園、動物園、墓園等)内における清掃・除草等の作業を神戸市より 委託され運営しております。 就労を目指している方、コロナ禍で離職された方、また支援学校を卒業される方等、 募集要項をよくご覧になり、ぜひ一度、チャレンジしてみてはいかがですか! 次です。(公財)日本障害者リハビリテーション協会の機関紙「新ノーマライゼーション」11月号に大変感銘を受けた記事が掲載されていました。 タイトルは、「多くの先人に触発されて」。作者は、全国手をつなぐ育成会連合会(以下:全育連)で監事をされている村山勇治氏です。 村山さんは以前、地元の埼玉県育成会の理事長や、全育連の副会長も務められ、 現在は、埼玉県秩父市で社会福祉法人の理事長もされております。 村山さんの人生を大きく変えることとなった「様々な出会い・巡り合い」、それは、 もちろん「人」で会ったり、時には「言葉」で会ったり、村山さんが歩んできた道のりと共に、その触発された出来事が丁寧に書かれています。 ご本人や、出版元である日本障害者リハビリテ-ション協会からの内諾も得ましたので、 中身について、紹介させていただきます。 昭和50年頃、村山さんは、埼玉県秩父市で、当時5歳に達していた長男の就学問題に 頭を悩ませていたそうです。ご子息は、数カ所の医療機関で「自閉症」「発達障害」との 診断を下されましたが、専門家からは、自閉症は情緒障害とも言われているので、 特殊学級よりも、情緒障害学級での教育が有効と言われました。 そこで村山さんは、市内の通学区の小学校に設置を求めるため、市議会に請願しようと しましたが、学級設置の要件は、対象児が5名以上で、担任教諭は1年の長期研修が 必要ということが判明しました。対象となり得る児童が住むお宅を一軒一軒個別訪問した 村山さんは、教育委員会に5名の名簿を提出しました。 まずは、この驚くべきパワーに驚愕しましたが、実は、これには、村山さんの考え方・ 生き方を変えてしまう「ある出来事」があったのです。 それは、ご子息を2年間受け入れてくれた幼稚園の卒園式に、出産準備の奥様に変わり、 村山さんが初めて出席された時のことです。 50人ほどの卒園児の親御さんの前で、村山さんは、園長から「卒園児の中で1人だけ 進路が決まっていない。それは、その子に障害があるからではなく、父親が、仕事を理由に子供の事を真剣に考えていなかったからだ」。 更には、「卒園児の集団遊戯の時、お子さんがどんな行動をするか、しっかり見て下さい」という主旨の言葉を名指しで浴びせられました。 集団遊戯では、整然と演技している園児からポツンと離れ、別行動を取るご子息の姿を 目の当りにします。「そのうちに追いついてくれる」という根拠のない望みを持っていた 村山さんでしたが、現実をまざまざと見せつけられ、頭を殴られた様な衝撃を受けました。 そして、しばらくの間は、自責の念で涙が止まらなかったそうです。 何もかも園長の言われる通りだったからです。これがまさしく長男の障害に、父親として 向き合おうとした瞬間だったそうです。 その後、養護学校のPTA会長を経て、5人の親御さんと共に、秩父に親の会をベースに した組織を立ち上げた村山さんは、やがて、埼玉県育成会の理事長、全育連の副会長を され現在に至っておられます。 村山さんが次に触発された先人は、東京で、「手をつなぐ親の会(現在の全育連)」を 結成し、当時の会長を務めておられた加藤千加子さんです。 村山さんが加藤さんを知ることになったのは、平成14年、埼玉県育成会の創立50周年の 記念誌に掲載されていた「天の命ずるままに」と題した加藤さんによる特別寄稿です。 昭和27年、加藤さんのお嬢さんは、埼玉県大宮市から特殊学級が設置されていた 東京神田の小学校に通学していました。当時、特殊学級に入れる障害児はほんの 一握りで、親たちは世間の冷たい視線の中で身を潜めて暮らし、行く末を案じ、子供を道連れに死を選ぶ親もいたそうです。 何とかしなければと悶々としていた加藤さんでしたが、結核予防運動の成功へのプロセス を聞き、全国の障害のある子どもを救うには「擁護運動」を起こすしかない、これこそ天が私に与えた天命であると確信し、私財を投げ打ち、壮絶な日々を送りながらも運動を展開したそうです。村山さんは、今読み返しても胸が締め付けられる思いがすると言われております。 他にも、びわこ学園創始者の糸賀一雄氏はもちろん、多くの先人の言葉に触発されたそうですが、広報誌に寄せられたあるお父さんの「親が楽をすると、子どもの幸せが遠のく気がする」。この言葉を聞いた時、村山さんは、皆が幸せになるための活動をやらなければ、我が子の幸せはないとの信念を持つに至ったそうです。 多くの先人たちの言葉に触発され、今もなお活動されている村山さんですが、地元の 秩父市でも、そして埼玉県でも、村山さんに触発され、育成会活動に参加されている方は 大勢おられることと思います。もちろん、私もその一人です。 以前にも触れましたが、私の育成会活動の原点は、親なきあと、たった一人で生きていかなければならない障害のある息子の幸せです。けれども、「皆が幸せにならなければ息子だけが幸せになることはできない」。 この想いで、今まで育成会活動を頑張ってきました。村山さんの足元にも及ばない私ですが、この点だけは合致しました。そして、こういった想いが、制度を変え、社会を変え、人を変えていく原動力になったと村山さんは言っておられます。 これは、まさしく育成会運動の原点です。子供たちが幸せに暮らせる社会に少しでも近づけるよう、どうか皆様方、会員として、ご支援ご協力のほどよろしくお願いいたします。 (会長 後藤久美子 ) スポンサーサイト
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